6.01.2009

【キャリア】格差社会 何が問題なのか(岩波新書)

「格差社会 何が問題なのか(橘木俊詔著、岩波新書・2006年9月)」を紹介します。この本の主張を一言で言うと、


すべての国民は、正社員であっても非正規社員であっても、
同じような労働内容であれば、同じ待遇(給料だけではない)を受け、
健康で文化的な最低限の生活ができる権利がある。


日本では所得分配の不平等が拡大している。では、不平等が拡大することとは、何を意味しているのか。それは、貧富の格差が増すということである。豊かな人の所得がさらに上がり、貧しい人がますます貧しくなる側面と、豊かな人と貧しい人の数が相対的に増加しているという側面がある。

生活保護を受けている世帯は、1996年が61万世帯、2004年が100万世帯、直近の2005年が105万世帯と増加してきている。豊かと見える日本社会において、生活保護基準以下の所得しかない人の数が確実に増え、実際に生活保護の支援を受けなければならない人も増えている。

貯蓄からも貧困の計測が可能である。貯蓄のない世帯が70年代から80年代後半にかけて、5%あたりで推移していたのが。2005年には22.8%まで急激に上昇している。また、自己破産する家計も増えてきている。自己破産申し立て件数は、95年が4万件へと、6倍も増えている。

貧困の基準は、国によって社会や経済の状況が全く違うため、貧困の国際比較を行うには、貧困の定義を共通にする必要がある。そのため、その国の平均的な所得の50%以下しかない人を貧困者と定義する。日本の貧困率は15.3%で、OECD加盟の26か国中、第五位という高さとなっている。ちなみに、1位がメキシコで20.3%、2位がアメリカで17.1%、3位がトルコで15.9%となっている。OECD全体の平均は10.7%。デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドといった北欧諸国は、4~6%台という非常に低い貧困率である。日本の貧困率は、80年代半ばに11.9%だったのが、現在、15.3%にまで増えてきている。

雇用システムの変化は格差拡大の重要な要因である。日本の雇用システムは、ここ数年で急激な変化を遂げており、そのことが格差に大きな影響を及ぼしているからである。その大きな変化の一つは、非正規労働者の数が非常に増えたということである。1995年、正規労働者が3779万人、一方、非正規労働者は1001万人だった。それが、2005年には、正規労働者が3374万人、非正規労働者が1633万人となっている。このことは、格差拡大の大きな要因となっている。非正規労働者の賃金はかなり低くなっており、統計によって多少の違いはあるが、正規労働者の6~7割と言われている。

非正規労働者が増えたのはなぜなのか。四つの要因を指摘したい。第一は不景気による影響。不景気になると、企業としてはなるべく労働コストを抑えたいと考えるのは当然のことである。第二に、非正規労働者の多くは、社会保険制度に入っていない。このことも企業側にとってはメリットがある。失業保険(雇用保険)、厚生年金、医療保険といった社会保険に入っていない人が、非正規労働者の中にはたくさんいる。第三に、解雇が簡単にできるという非正規雇用の特徴もあげられる。企業が事業不振に陥った際、まずクビを切りやすい非正規雇用労働者を解雇する。第四に、特にサービス業が顕著だが、どの企業でも忙しい時と、そうでない時がある。忙しい時にだけ働いてくれるようなパートタイマーは、企業にとって好都合である。

若者の中にはフリーターに代表されるように、非正規労働者として働いている人の数が少なくないという現実がある。フリーターの平均年収はおよそ140万円で、12カ月で割ると、およそ12万円弱となる。12万円弱の所得で、独立して一人で生活していけるのだろうか。したがって、若者の間でフリーターが増えているということは、一人で生活していくのさえ難しい若者の貧困層が増えるという事を意味している。

低所得の非正規労働者が増えたことに対して、次のような主張がある。リストラにあって、本来、失業者となっている人も、非正規労働者として働く機会はむしろ広がっているのではないか。失業者になるよりは、むしろマシではないかという主張である。はたしてそうだろうか。憲法を持ち出すまでもなく、すべての国民は健康で文化的な最低限の生活ができる権利がある。本人が働きたい意思をもって、働く場所がある限りにおいては、それによって生活していけるだけの所得を得るのは、人間の生活として当然のことではないでしょうか。したがって、低所得の非正規労働で我慢すべきという主張は、妥当なものではなく、特に日本のような先進国では、そのような考えはなおさら否定されるべきである。

正社員として働き続けたときと、パートや常用の非正規労働者として働き続けた時に、22歳からスタートし、将来どれだけの生涯賃金を得るのか。まずパート労働を続けた人の生涯賃金は4637万円。一方、常用の非正規労働を続けた人が1億426万円。正社員として採用されて仕事を続けた人は、2億791万円という結果が出ている。フリーターを仮に常用の非正規労働者としてとらえたとしても、正社員の生涯賃金の半分でしかないことがわかる。一生涯においてこれだけの所得格差が生じることは異様なことと言わざるを得ない。

どこの世界にも格差は存在ということは事実である。その意味で、小泉首相の「格差はどの社会でも存在する」という発言は、百パーセント正しいと私は判断する。格差がゼロの社会というのは、世の中にはありえない。ただ、格差はどこまで認めればよいのか。この質問に対して、二つの考え方がある。一つは、格差の上層と下層の差に注目する考え方。上層と下層の差をどこまで縮めればよいのか、あるいは縮める必要がないのか、と考える方法である。もう一つは、下層が全員貧困でなくなるためにどうすればよいか、という考え方。上層と下層の差の存在を認めつつ、貧困者がゼロの世界を想定するものである。私の価値判断は後者の考え方を支持している。貧困が増えることに大きな問題があると見なすからである。

したがって、今日の雇用における下層、すなわち低所得労働者をいかに救済するかが重要であり、私の考える政策を具体的に提案したい。第一に、私が提案したいのは、同一労働・同一賃金の考え方の導入である。すなわち、正規労働者であろうと、非正規労働者であろうと、同じような仕事であろうと、同じような仕事であれば、一時間あたりの賃金はできるだけ同じにするという政策である。次に提案するのは、最低賃金制度の充実。企業の利益は労働者、経営者、株主に分配されるが、今日、日本では労働者への分配率が低下傾向にあり、これを上げる政策が必要だと考える。労働分配率をあげることは、最低賃金額をあげることにつながる。さらに労働者間での分配について、高賃金にいる人には、ある程度、犠牲になってもらい、積極的に低所得者への分配率を上げることにつながる。最低賃金を上げることを嫌がる経営側に対して、私は次のように問いたい。「あなたの息子(あるいは娘、妻が時給600円、700円で働いていることを知ったら、あなたはどう思いますか?」と。600円、700円の賃金では、とても食べてはいけない。自分の息子がそうした働き方をしていることに、何も感じない人はいないと思う。その感情を私は経営側に持ってほしい。